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先生ブログ

O君の成長 4/4 -O君のこれから-

緒方 大揮

2023年04月02日 12:06

1.勉強する習慣

1-1.学年末テスト後のO君

学年末試験が終わった。

試験が終わると、「あー、済んだ済んだ」と気が抜ける。

ご経験の方も少なからずいらっしゃることだろう。

 

恥ずかしながら私は、試験期間が終わったら解答が返却されるのにビクビクしながら、ノートも問題集も放り出して現実を直視しないようにしていたものだった。

それでO君はどうかな、と様子を見ていると、試験は済んだのに毎週3回自習に来ている。

「O君、今週も3回来ているね。キツいとか大変だとかは思わないのかい。」

「あ、先生。そうですね、まあ楽ではありません。でも、家でだらだら勉強するよりは逆に楽ですよ」

ひと月ほど前まで「無理!嫌だ!ゲームしたい!」と言っていたのと同じ人だとは思えない変貌ぶりである。

 

試験前はとにかく「悪い成績をとりたくない!」の一心で、なんだかんだ勉強するものだ。

しかし、そのときの勉強する動機は、おおむね「今度のテストで悪い成績をとると色々厄介だから」だ。そんな動機は、テストが済んだら消えてしまうのである。

 

 それでは、O君がテスト後も自習に来ているのはなぜだろうか。

1-2.なぜ続けるのか? - 長期的視点の獲得 -

  

 ひとつは、彼の中に以前よりも広い視野ができてきたことが考えられる。つまり、「テストが一つ済んだところで、この先にまた試験はあるから早いうちに備えておこう、そして定期試験は将来に関わるから今のうちから真面目に向き合わないといけない」、と考えるようになってきているのである。

 

 試験は1回受ければ終わり、ではない。1~2ヶ月後には次の試験がある。中学校の3年間に受ける定期試験の回数は20回ほどもあるのだ。

 

 大人であれば、「試験の2週間前にまだ学校から指定されている問題集(合計120p)を解き始めていない」、などというのが「ヤバすぎる」のは当たり前に分かる。

 

 しかし中学生で特に1年生ともなると、わからない。

 それは、経験が少なく、発達の途中であり、完全に大人と同じようには考えられないからだ。時間感覚が違うのである。テスト前2週間のことがうまく計画できないのであれば、テスト後1ヶ月、2ヶ月のことなど考えられるはずもない。

 

 そこで必要なのは、定期試験がこれから先にもあって、時間をかけて準備すればするほど良いことと、緊張が完全に解けてしまったらまた「臨戦態勢」に入るのに時間がかかることを伝え、どうするのが良いか考えてもらうことである。もちろん、言葉だけではわからない。実際に本人が試験を経験し、失敗して、その上でなぜ失敗したのかを考えることが必要なのだ。

 

 そして定期試験は、将来的には高校の選択や、さらに先では生涯のキャリアにもつながっていることを繰り返し伝えてゆくことが重要なのである。

 人間は「テストが近いから勉強しろ」というだけで、勉強するようにはならない。

 

 結局、周りの大人がどんなに頑張ったところで、勉強して試験を受けるのは子供本人しかいない。ということは、子供自身が「なぜ勉強するのか」を考える、つまり「自分はどう生きたいのか・そのためには今、どんなことを頑張れば良いのか」を考えることが必要なのだ。

 

 ところで、駿英ゼミナールでは「社会科見学」「キャリア教育」「教養クラス」など、一見、塾らしからないことをしている。が、それらもやはり、「自分は将来どう生きてゆきたいか」を早いうちから自分で考えるためのものなのである。

 

1-3.なぜ続けるのか? - 習慣化 -

 

 もうひとつ考えられるのは、「習慣化しつつある」ということである。

 

 彼は試験前に週3回自習に来て、メリットと「続けられそうだ」ということを、達成感とともに体験した。

 

 彼にとって、「自習」は「一握りの熱心な(あるいは物好きな)生徒がしている苦行」ではなく「当たり前にすること」になったのだ。

 

 習慣とは、大まかに言えば「何も考えずにできる行動」である。

 例えば、起きてから顔を洗うこと、寝る前に歯をみがくこと、玄関で靴を脱いでから上がること、これらは多くの人にとって習慣化している行動だ。

 

 習慣の特徴の一つは、「苦労している感覚」が少ないことである。人間は、判断に使える意志の量が決まっていると言われている。たとえば自動車の運転で、運転免許を取りたての人は1時間も運転すればすっかり疲れ果ててしまうことも少なくない。ところが運転歴20年のプロともなれば、2時間運転して、15分休んで、それから2時間運転しても平気である。

 

 この違いが生じるのは、運転中の「意志の使い方」のためだ。運転に慣れていない人は、「ハンドルを右に回す」「ミラーを見る」「信号を確認してブレーキを踏む」といった動作をひとつひとつ意志をつかって判断して行う。一方で慣れた人は、いちいち考えなくてもスムーズに動作を行える。消費される意志の量は少なくなり、疲れないのだ。(森・井上・松井 1995)

 

 これは勉強に関しても同じである。習慣になってしまえば、机に向かうこと・問題集を開くこと、その他の「勉強」に関する行動が苦労なしでできるようになる。勉強は良い意味で「軽く」できるようになるのだ。

 

 習慣のもう一つの特徴は、「習慣通りにしないと不快感を覚える」ということである。

 

 構造上、日本の家でも土足で床に上がって問題はない。しかし「どうぞ、靴のままで上がってください」と言われて畳の部屋に通されたら、何かためらう感じがするのではなかろうか。 

 

 勉強も同じく、毎日机に向かうことが当たり前になっていたら、たまに親御さんなどに「たまには休んだら?」と言われても「しないのが気持ち悪い」と感じる。だから、「いや、やっぱり勉強するよ」と答えることになるのだ。

 

2.これから

 

「O君はどうして勉強しているの。」
と尋ねた。

 

「将来、自分がしたいことをできるようにするためですね。」

「僕は、建築に携わりたいと思っています。」

 

そんな答えが返ってきた。今の彼の様子からすると、ただの夢物語ではない。「マジ」の目標だ。

 

学年末テスト前後で、O君は大きな成長を遂げた。

 

もちろん、これで万事OKになったというわけではない。彼はスタートラインに立ったのである。

 

 まず、彼は勉強のスタートラインに立った。

 もし「イラストレーターになりたい」と言う人が、全然作品を作る時間を取らなかったなら、いい作品を作れるだろうか?ヘタクソでもまずとにかく「描く」ことが上達の可能性を上げるのだ。それは勉強に関してもそうである。彼はこれで「勉強時間を作る」ことができるようになった。

 

 つぎに問題になってくるのは勉強の質を上げることだ。

 勉強の質とは、丁寧に読むこと・書くこと・考えること、そして効率よく確実に歪みなく学ぶ方法を身につけることである。いきなりできるようになるものではない。

 まず勉強する量を確保して、それからなんとかできる話なのだ。

 

そして、もっと広くみたとき、彼は自分の人生を自分が生きるということのスタートラインに立った。つまり自立である。

 

 子供は親から生まれ、親に全面的に依存した状態から、成長とともに少しずつ離脱してゆく。これは、「自分で考え、行動する」「自分のことに自分で責任を持つ」とも言い換えられるだろう。

 

 「人に言われないと勉強しない」のは、自立していない状態である。彼はそこから抜け出して、「自分の意志で勉強する」ことができるようになってきた。「自分のしたいことをする」、これが非常に難しいけれども目指すところなのである。

 

 結局のところ自分の人生が幸福に満ちたものになろうが、無茶苦茶なものになろうが、そのことを最終的にどうにかできるのは自分自身以外にいない。学校が悪い、社会が悪い(そして時には親が悪い)などと言っても、他人はどんなに近しくても、自分の責任を肩代わりしてはくれない。自分を導く究極の味方は、自分自身であるのだ。

 

 これら2つのスタートラインに立てた。これからも、苦労することは何度もあるだろう。

 しかし、彼は彼自身の望むことに向かってゆく、というのがどういうことなのかわかってきたはずだ。それが大事なのだ。

 O君は今春、中学2年生になる。

 まだ見た目には少々あどけなくも見えるが、一人の人間として、立派なお兄さんである。

 

 きっと、後輩たちにとって良い先輩になるだろう。

 

 これからの1年、はたから見守るひとりとして、彼の成長を心の中で楽しみにしている。

 

《参考文献》

森敏昭、井上毅、松井孝雄 1995 『グラフィック認知心理学』サイエンス社 

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